えのもとサーキット様

聖地と呼ばれるお店

店長 榎本様

「えのもとサーキット」は、タミヤ製のミニ四駆だけでなく、えのもとサーキットオリジナルデザインのミニ四駆やパーツ、⼯具など、約1,500種類もの商品を取り揃えるミニ四駆専⾨店です。その圧倒的な品揃えと、年代を問わず多くのファンが集う実店舗は「ミニ四駆の聖地」と呼ばれます。今回お話を伺ったのは、今年70歳を迎えられるとは思えないほどパワフルな店⻑の榎本さん。

デニムエプロンと⾚いキャップがトレードマークで、実店舗の開店から20年間、年中無休で店頭に⽴ち、お客さんを温かく迎えています。榎本さん⾃⾝、若い頃は模型ボートやリモートコントロールボートを楽しまれていて、その腕前は全⽇本選⼿権で5年間破られない記録を樹⽴したことがあるほど。
ボートとミニ四駆という違いはあるものの、夢中になる気持ちは⼀緒。
ファンが欲しい商品がなんでも揃う店であること、レアもの商品も定価で販売することを信条に、ブームの時もそうでないときも、ミニ四駆ファンとともに歩んできました。実店舗がある⾼尾は都内から1時間はかかる場所ですが、いつもたくさんのお客さんで賑わっています。 特に、⽉に2回開催されるレースイベントには、様々な年齢、性別、時には国籍も超えたミニ四駆ファンが一斉に集います。

欲しいものがすべて揃う店でありたい

ミニ四駆の専⾨店を始められたきっかけを教えてください。

えのもとサーキットの前⾝は、えのもと玩具店というおもちゃ屋です。おもちゃ屋は私が会社勤めをしながら33歳の時にスタートして、50歳で会社を退職するまで⼆⾜のわらじで経営していました。本当はもっと早く会社を辞めておもちゃ屋に専念するつもりだったのですが、会社に引き⽌められましてね(笑)。ミニ四駆が誕⽣したのは1986年、私が40代のときです。当時タミヤから600円で発売されました。⼦供のお⼩遣いでも買える値段なのに、電池以外のキットは⼀式揃っている充実ぶり。しかも、⼿の平サイズで簡単に作れるのに時速50kmで⾛るという、その魅⼒的なおもちゃに⼩中学⽣は夢中になり、あっという間にミニ四駆ブームが起きました。当時はミニ四駆レースも⼤流⾏していたので、その波に乗ってうちの店でも開催することにしたんです。すると、店の前の狭いスペースに毎回100⼈以上が集まるほど⼤盛況となりました。嬉しい反⾯、周囲のお店に迷惑をかけてしまって悪いなぁと思い、今の場所にサーキットを移してレースを続けることにしました。現在の店名の「えのもとサーキット」は、当時の店名の名残です。
この1次ブームをきっかけに、おもちゃ屋からミニ四駆専⾨店になることを決⼼します。ものすごい盛り上がりを⾒せるミニ四駆に商機を感じただけでなく、かつて模型ボートに夢中だった⾃分がいつも感じていた「どのお店も品揃えがまちまちで、1、2個しか欲しいものが無い。1つのお店で欲しいものが全部買えたらいいのになぁ。」という当時の気持ちを思い出したからです。えのもと玩具店に遊びに来てくれるお客さんも、きっと同じことを感じているんじゃないだろうか、だったらうちが何でも揃うミニ四駆専⾨店になって、みんなに喜んでもらおう︕と考えました。そして50歳で会社を辞め、ミニ四駆専⾨店「えのもとサーキット」を。

メーカーがいち⽬置く存在になることを目指して

海外にもお客さんがいらっしゃるそうですが、ここまでの⼈気店に成⻑した秘訣は何でしょうか?

お店を始めて間もない頃「うちはメーカーに出されたものを売るだけじゃなくて、メーカーに意⾒が⾔える⼩売店になろう」と決意したことが⼤きかったと思います。ミニ四駆ブームの時、メーカーに聞きたいことがあって電話をかけたら、たらい回しにされてしまいました。
うちが無名の店とはいえ失礼な会社だなと思ったんです。悔しくて、いつかこの会社のトップと直接話せるようになってやるぞ︕と決意しました。
でもそれは、たらいまわしにされた⽂句を⾔うとか、もっと売れる商品を作ってくれとか、そんなことを⾔うためではなくて、⼩売店であるえのもとサーキットだからこそ知っているお客さんの⽣の声や意⾒を、メーカーにしっかり伝えて商品作りにどんどん活かしてもらおう、それができる存在になろうと考えたためです。うちもメーカーも、⼀番⼤事なのは多くのお客さんが「ミニ四駆で遊ぶことが⼤好き!楽しい!」と感じてくれることです。だったら、両者が向き合って建設的な意⾒を交換して、お客さんが本当に喜ぶ商品を⼀緒に作れるようになりたい︕と思ったんです。とはいえ、いくら⼝で⾔ったところで当時は何も実績がなかったので、まずは結果を出す、つまりミニ四駆をいかに売ってメーカーが無視できない存在になるかが重要でした。
⽬標ができてからは、それまで以上にどうやったらお客さんが楽しめるか、どんなことに喜んでくれるかを考えました。売れ筋商品だけでなくレアな商品も他店と⽐較できないくらい充実させる、商品は適正価格で販売する、レースイベント「えのもと杯」を⽉2回開催するなど、お客さんと話しながらヒントをもらい地道に試⾏錯誤を積み重ねるうちにお客さんが増え、ミニ四駆ファンの間で「えのもと」の名前が知られるようになりました。 そして、決意した⽇から10年⽬、なんとあのメーカーのトップから電話がかかってきたんです!それが、タミヤの会⻑の⽥宮俊作さん。凄いことですよね。それ以来、⽥宮会⻑とはずっと連絡を取り合っていて、仕事の話からプライベートなことまで何でも話せちゃう仲になりました。それなのに、10年間も電話だけでつながっていて、⼀度もお会いしたことがなかったんです。不思議ですよね(笑)でも遂に、⽥宮会⻑が来店してくださいました。私の念願が叶いました。いやぁ〜、ほんとうに嬉しかったです。

⼈に喜ばれたいという欲はどんどんかく

オリジナルの商品も数多くありますが、榎本さんが企画制作されているのでしょうか?

商品のアイデアはどんどん出します。実は私自身は、ミニ四駆で遊ばないんです。⾃分が夢中になっちゃうとお客さんのことが⾒えなくなって、良いサービスが提供できなくなっちゃうから。(笑)そのかわり、お客さんの相談を受けながら、こういうパーツや⼯具があればお客さんのやりたいことが実現できるんじゃないかな︖というアイデアをどんどん出します。そうやって商品化したものが45アイテムくらいあります。例えば、タイヤは、厚みや幅によってジャンプ後の跳ね⽅やグリップの具合が変わるんですが、その調整をするために、タイヤを削ったり切ったりする「タイヤセッタ ー」や「タイヤカッター」もオリジナルで作っています。ただ、作ると⾔っても、私にできるのはお客さんの声をもとに、具体的な商品イメージを絵に描くところまでです。図⾯におとして実際の⼯具を制作するのは、私と同い年で仲良しの、町⼯場を営む中村さんという⽅に協⼒してもらっています。商品価格は抑え⽬。私たちはお⾦儲けが⽬的じゃなくて、お客さんに喜ばれる様子を楽しませてもらっているからです。こういう仕事はワクワクしますね。
常に⼼にあるのは、むかしある⼈に教えてもらった「⼈様に喜ばれたいという欲はいくらかいても良い」という⾔葉です。いろんな商品を揃えているのも、オリジナルグッズを作っているのも、お店に遊びに来てくれた⼈にコーヒーご馳⾛するのも、「どこから来てくれたの︖」なんてお喋りするのも、レース開催するのも、全部お客さんに喜んでもらいたいからです。でも、そうやってお客さんと触れ合えている私⾃⾝が、誰よりも楽しんでいるのかもしれません。

ミニ四駆もいつか代々受け継がれる存在に

榎本さんのこれからの⽬標を聞かせてください。

商売なので、売上の⽬標はありますが、私の信念として薄利多売に⾛ったり、定価よりも⾼い値段で売るような節操のない商売はしたくないんです。理想とするのは、京都の路地裏に何百年もひっそりとたたずみ、知ってる⼈だけが通う⽼舗、そういう店です。うちの店も、この⾼尾でしっかりと地に⾜付けて、良い品を適正な値段で売り、お客さんが必要としてくれれば地球の裏側へもしっかり届ける店でありたいですね。
また、ミニ四駆は2000年以降、第三次ブームを迎えていて、第⼀次ブームの時に⼩中学⽣だった⼦供たちが、⼤⼈になってもう⼀度ミニ四駆の世界に戻ってきたことが背景にあります。⼤⼈からすると、ミニ四駆やパーツの値段って安いもんじゃないですか。だから、⼦供の頃に叶わなかったマシンのカスタマイズやレースに夢中になる⼈が多いみたいです。業界に活気があることは喜ばしいことですが、⼀⽅で⼀過性のブームではなく、末永く愛される存在になっていってほしいなと感じています。⽇本は、流⾏が去ると⼤半の⼈は⾒向きもしなくなり、気がつけば商品が消えてしまっているということも多いじゃないですか。1つのものをずっと⼤事にするという感覚が希薄だと残念に感じています。願わくはヨーロッパのように、おじいちゃんが⼦供の頃に遊んでいたNゲージ(⼩型鉄道模型)をその⼦供や孫が⼤切に譲り受けて使うように、ミニ四駆も親から⼦へ受け継がれ、世代を超えて楽しまれるおもちゃとして、永く愛されることを願っています。

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